あるいは社会構造の弊害
2005年5月13日管理人は貧乏である。
流行っているのかいないのか、最近”あなたに代わってプロがお掃除”的商売のCMをよく目にするが、貧乏人にとっては吃驚仰天である。
見も知らない他人に家に上がりこまれてあっちこっちひっかきまわされて気持ち悪くないのか?という疑問はさておき、んなことにお金を使うくらいなら貧乏人は自分の手をちまちま動かして小銭を稼ぐしかないわけである。
そんな管理人であるからして、お洗濯も専ら自宅で済ます。流石に洗濯板と盥ということはなくて水道代と電気代のかかる全自動洗濯機ではありますがね。
肌が弱い管理人は、うつくしいシフォンのスカートやフェミニンなウールのニットなぞとは無縁である。身に着けるものはその殆どが木綿であるため、クリーニングのお世話になるようなこともない。同居人も職業柄、私服同然の格好で職場に赴くので同上である。
ごく稀にドライ指定の、例えばレーヨンのシャツ、コットンではあるがドライもの、スカートなどであればこれも特に気を使うこともなく未だにどういう仕組みか全く理解していないドライ用洗剤なるもので洗ってしまう。
それでも、冬物のダウンジャケットだとか、たまにではあるが着ざるをえない同居人のスーツ、型崩れの気になるものはいかんともしがたい。
しぶしぶながらもクリーニング屋のお世話である。
そんなこんなで先日、ジャケット2点、スーツ3点をクリーニング屋に持ち込んだ。その場で状態のチェックを受け、各々に見合ったコースに選別され、会計を済ませた。引き取りは日曜以降ということだった。GW最終日、5日のことである。
3日後の日曜日、店に引き取りに行くとお待ちくださいと言われ、店の人が忙しく立ち回っては商品を揃え始めた。
が、なかなか商品が出てこない。おかしいなと待つうちに一人の店員が現れ、預かったジャケットのうち1点が工場から戻ってきていない。クリーニングは終わっているはずだが問い合わせるので待って欲しいという。いかんともし難く待つうちに、実は作業にすら入っていないということを告げられた。
詳細はこうである。
店頭でのチェック時は分からなかったが、工場で調べたところ預かったジャケットのうち1点が中わたにダウンを含むことが判明した。ダウン製品は別コースで料金が高くなる。しかし勝手にコース変更をすることもできないのでそのまま工場で保留になっているという。
今もう一度注文を受ければ、必然高い料金を取られることになる。
翌週からダウン割引セールなるものが始まり、その時であれば通常より少しは安くなるが、というが、そう言われたところでどうすることもできない。大体手元に商品がないではないか。
そもそも連絡先は分かっているのだから、不備が判明した時点でなぜ問い合わせてくれなかったのかと思いもしたが、当方のミスだからセール開始までこちらで預かり、クリーニング終了時に差額を頂戴するとまことに丁寧な対応であったので、それではお願いしますとその場を後にした。
そして今日のこと。
自宅の留守番電話に件のクリーニング店からメッセージが入っていた。不在なので掛け直すという。
出来上がったのならその旨伝えればよいだけなのに、と嫌な予感がした。
実を言うと水曜にもクリーニング屋から電話があり、カタがついてる筈のジャケットの話を持ち出してきて「どうされますか?」と聞かれ、同居人がキレていたところだったのだ。
はたして、不安は的中した。
再びかかってきた電話の内容は恐らく同居人が聞かされたであろう文言と殆ど同じだったに違いない。
そもそも衣替えで注文が殺到するだろう時期、1度目はしかたがなかろう。しかし、2度3度というのはいかがなものか。
責任者をお願いしたが生憎不在ということだった。相手は受話器の向こうで平身低頭の体であったが、正直連絡系統はどうなっているのか、甚だしく疑問である。
ああいう店は店員の殆どがパートであろうとは思うが、常駐者がいないのならば尚更、業務連絡は徹底すべきではないだろうか。安い時給で非正社員を使うのも結構だが、会社母体は何をやっているんだろう。何よりも利益と効率とスピードが重要視される現代社会の弊害かなどとも思ったりはするが。
もう一度くらい同じ内容の電話があるんじゃなかろうかと戦々恐々の管理人である。
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