萌えのために

2004年7月10日
朝から日が暮れるまでずっと、もったりした雲の中で雷がごろごろいっているのに、お前らにやるのは惜しいとばかりにひとしずくの雨も降らせてはくれなかった。それでも風があったせいか、ここ数日の酷い暑さは多少和らいでくれたような。

日が落ちて、室内温度が4℃も違うとたとえ熱帯夜に区分けされるとしても随分涼しいものです。今日は本当にマシ。

管理人、特に蓮月は色々な意味で熱に弱いのです。うだるような暑さに体力を削がれるだけでなく、色々な形で損傷をうけるわけです。おまけに未だクーラーを入れられないしみったれなやつなのです。身体も頭も動いちゃくれません。描きかけの絵も、書きかけの文も放置状態です。萌えのためにはクーラーがぜひとも必要なのですが・・・そんなこんなで雑記ですら更新が滞りがちです。それでも、見に来てくださる方がいらっさるということは溶けた脳味噌にもありがたみが伝わってきておりますです、ハイ。

長い前置きですが、拍手御礼・・・。

7月7日23時に拍手くださった方、ありがとうございました。
7月8日16時、Mちゃん。
七夕の話は、想像つくだろうけど「ところてん」ですvv
7月9日16時に拍手くださった方、ありがとうございました。

またのぞきにきてやってくださいな。


今日はこころもち涼しいので割りと脳も活動してくれるようです。そんなら雑記で下らないことをぶつぶつゆってる場合でない気もしますが、なんとなくうだうだしたい気分なのです。

さて管理人の萌え友、M氏はたいへんな読書家でいらっさいます。図書館に通っては驚異的な量を読みこなしています。図書館はいいよと彼女はいうのですが、私にはどうも図書館というものがとても遠かったのです。なぜだかわかりませんけども。

私にとって、本を借りる所は学校の図書室であって、公共の図書館には今まで一度も足を運んだことがなかったんです。なんか得体の知れない場所とか思ってたのかもしれません。

その昔、私は図書室が大好きでした。空想家にとって本が沢山あるところっていうのはそれはもう宝島のようで、小学校の頃は、字のでかい、それでもちゃんとパジェットの挿絵の入ったシャーロック・ホームズをわくわくしながら読んだり、なぜか蔵書にあったはだしのゲンや火の鳥、ブッダなんかは未だに強く心に残っている。中学時代の図書室の記憶はなぜかすっぱり抜け落ちているけど、高校に上がってからは3年間通いつめたものでした。魔界水滸伝とか、ラヴクラフトとか、エンデとか、当時から既に随分偏ったチョイスだった気はするものの、毎日どっさり借りては三つ折りにした布団の上で貪り読んだり。

それほど好きだった図書室も、高校を出てしまえば大学にも行かなかった私には縁遠く、その後は本当に欲しい本のみを手に入れて読む、というスタイルに切り替わり、社会人になってしまえばいつしかそれすら遠くなり、本屋でめくるページにも、だんだんと引き付けるものをみつけられなくなり、ああもう読書のできない頭になってしまったんだなぁと少々寂しく思ったもんで。

そんな私に、再び本に対する興味を抱かせてくれたのはMちゃんでした。Mちゃんの幅広い読書範囲と語ってくれる感想文は、私の狭いカテゴリには新鮮でもあり、深くであれ、広くであれ、いかに自分が追求することを忘れていたかを思い知らされもして、重い腰をあげて行ってみた地元の図書館は、やはり学校の図書室と同じに宝島でした。ああそうだ、ここにはわくわくとどきどきが詰まっている。

ここにある本を、気になったやつを手にとって、片端から全部脳に詰め込んだらとても気持ちいいだろうな。
ここは図書館。時間さえ赦せばそれは可能なのだ。

のめりこむように読んだ本の一文。

”微妙に色合いを変えるパステルの儚い美しさを、彼がどんなに好んでいるかは、わたしにもよくわかる。だから、彼はパステルを使えない。減るのが惜しくて。吝嗇な守銭奴のように。自分が創造することはできないけれど、美しいものを享受する能力は人一倍ゆたかだ”

ああこれは、ぴったりだ。私という人間を表すのに。
絵も、文章も、造形も、音楽も、映像も、布も色も香りも光も影も、およそ自分が美しいと感じる感性を私は信じる。感性に触れるものを私は愛でたい。手に入れたい。

きっと、私の感性はまだ鈍ってはいない。まだ享受することができる。

想像家は自分で生み出せない分、創造家より強欲かもしれません。


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